もしも私がこの場所じゃなく隣の道を選んでいたら。。

600x344xNewImage16.png.pagespeed.ic.L9zOtz3Dzt

諸事情により10月末で所属していた会社を退職し、11月から人生初の無職になりました。

大中小の規模の企業、ベンチャーやその創業も一通り経験し、今まで本当に自分のやりたいこと、やってみたいことをやらせてもらっていた人生で、転職も異動も、どれも振り返れば本能に従った想い通りのことばかりだったかもしれません。そのためにたくさんの方に迷惑もかけてきていたと思います。

完全に自分都合の想い通りの生き方ばかりしてきましたが、それには後悔もあります。

「後悔」とはいってもそんなにネガティブなものではありませんが、もしも私がこの場所じゃなく隣の道を選んでいたら、、とふと思うことがたまにあるということです。
自分が選んできた道は全て間違っていたとは思っていません。ただ、きっとその隣の道も間違ってなかったんじゃないかなと思うことがあるのです。つまりどちらの道も正しかったんじゃないかと。
創業から頑張ってきた会社も今となってはある分野では日本一の会社になったり、ある会社では直接の部下や後輩がそのまま名誉ある地位を築いていたり、そんな様子を振り返るとそこに自分がいないことにさみしさを感じたりすることが時々あります。

やりたいことだけをやり続けた結果、得られたかもしれない地位やお金は残らない。地位などには拘らないからこそ選んできた道ですが、どうしても振り返ってしまうことというものは時々あるものです。
とまあ、贅沢な後悔といえばそれまでですし、思い上がるのもいい加減にしろという感じですよね。すみません。

話は変わって、最近になってよく思うことは、自分は父親を超えることができるのか?ということ。

父はとっくに70を超えていますが未だ現役で、今もエレクトロニクスの分野では世界に関わり、恐らく今このブログを読んでくれている方々が手にしているものにも入っているものに関わっています。
そして何よりも5人兄弟である私達をここまで育ててきたということ。
少なくとも自分は5人もの子供を育てるなんて全く考えられません。

若い時は、父は仕事ばかりで子供のことなんてなにも考えてないと思っていましたし、そんな父から時々言われるアドバイスなどはすべてやっかいな小言にしか聞こえていませんでした。
社会に出たばかりの頃までの自分は本当に生意気な人間だったと自分でもわかるくらい、昔の自分の行動を思い出す度に恥ずかしくなりますし、考え方やモノの見方がどんどん変わっていっていることも実感します。

そんな自分もある転職の時には、初めて父と二人で飲みにいきその相談をしたことを思い出します。あまり人に依存しない生き方をしてきた自分にとっては、その相談するという行為自体が大きな変化の一つだったかもしれません。その時に言われた「30代までは人間はとにかく苦労するべき」という言葉は今も胸に刻んで支えになっています。
アラフォーの自分にとっては、そろそろ次のお言葉を頂かないといけない時期にはなってきていますが(笑)

そんなこんなで、今の時点で今後の中長期的なことは全く確定していないのですが、いい歳した大人がお恥ずかしいことに無職になりましたよというご報告でした。

こんな私にも早くもご心配いただきお声掛けを頂いた方々に本当に感謝しつつ、今後のことについてはゆっくりと整理していきたいと考えております。まだまだ未熟者ですが今後ともよろしくお願い申し上げます。

かわいそうな奴だな、と思ったそこのあなた。生暖かく見守ってあげてください。
こいつ大丈夫かな?と思ったそこのあなた。食べ物などを恵んであげてください(笑)

今回の選択も間違っていないと思いつつ、今後は「後悔」もしないと誓い、気持ちをまとめてみました。

冒頭の画像は先ほど書いたSTYLE4 Designのブログより
圧巻!700機以上の気球が色鮮やかに舞うバルーンフェスタのタイムラプス映像 – Albuquerque Balloon Fiesta | STYLE4 Design
(via:#174 Albuquerque Balloon Fiesta – Timelapse | PURE DAYLICE)
ここにも書いた通り、気球って人生みたいだなと、勝手に感傷的になってしまうエントリーでした(笑)

Sumito Matsue
Twitter